2015年12月21日月曜日

吾輩は「ふつう」である

吾輩は「ふつう」である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でカープ!カープ!カープ広島♪と泣いていた事だけは記憶している。
吾輩はここで始めてお好み焼きというものを見た。
しかもあとで聞くとそれは広島風お好み焼きというお好み焼きの中で一番崇高で高貴な食べ物であったそうだ。
このお好み焼きというのは時々広島焼きと呼んだ者を煮て食うという話である。
しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。
ただ鉄板の上に載せてヘラでスーと持ち上げた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。
鉄板の上で少し落ちついて広島風お好み焼きを見たのがいわゆるお好み焼きというものの食べはじめであろう。
この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。
第一具材をかき混ぜて装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるでホットケーキだ。
その後関西風お好み焼きにもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出会わした事がない。
のみならず具材の真中がそばが挟まれている。
そうしてそばの上に豚肉とキャベツが混ざり合い煙を吹く。
どうも咽せぽくて実に弱った。
これがお好み焼きのかけるオタフクソースというものである事はようやくこの頃知った。
このお好み焼きの食べ、しばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。

秋田 中略

ここで吾輩は彼のお好み焼き以外の食べ物を再び見るべき機会に遭遇したのである。
第一に逢ったのが広島風つけ麺である。
これは前のお好み焼きより一層強力な食べ物で吾輩を一口入れるや否やいきなり突き抜ける辛さが舌を抛ほうり出した。
いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せていた。
しかし熱いのと辛いのにはどうしても我慢が出来ん。
吾輩は再び広島風つけ麺の隙すきを見て平和公園へ這い出た。
すると間もなく職務質問を受けてまた投げ出された。
吾輩は投げ出されては這い上り、這い上っては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶している。
その時に広島風つけ麺と云う食べ物はつくづくいやになった。
この間広島風つけ麺の替え玉を偸すんでこの返報をしてやってから、やっと胸の痞が下りた。
吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、この県の知事がサッカースタジアムはサンフレッチェ広島がV3したら建てるといいながら出て来た。
サポーターは垂れ幕をぶら下げて知事の方へ向けて「スタジアムは市民球場跡地に!!広島みなと公園は交通機関が貧弱なので困ります」という。
知事は鼻の下の黒い毛を撚ひねりながら吾輩の顔をしばらく眺ながめておったが、やがてそんなら市民球場跡地へ置いてやれといったまま奥へ這入ってしまった。
知事はあまり口を聞かぬ人と見えた。
かくして吾輩はついにこの広島県を自分の住家すみかと極める事にしたのである。


カッとなってやった。
今は公開している。

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